君の顔が見たい

「先輩なんか疲れてません?」
「え、わ、分かる?」
「最近特に元気になってましたからね!差が激しすぎて俺でもわかりますよ!」

会社で後輩に声をかけられてドキリとする。
まさに朝から疲れる事件に遭遇したのだから。

ことを遡ると数か月前の地獄月間の終わりに、酔っ払いを拾ったことを機に仕事のやり方がほんの少し変わった。
仕事に区切りがついて馬車馬のように働くこともなくなり、仕事の振り分けも少しずつできるようになった。
毎日定時で帰れるとはいわないが緊急の仕事さえなければ、割と早い時間帯に帰宅できるようになった。
ちょこっとずつの変化でも自分に余裕が生まれた。
その結果、自然と自分の時間が増えた。
久々にできた自分の時間に多少気が緩んでしまうのは仕方がないことではないかと、私は思う。
暫くテレビをつけていなかった私は今はやりのドラマを途中から見ても全く分からず。
ご飯でも作ろう…とは思っていたものの、スーパーに行って買い物をして家でご飯を作って食べるのも楽しいが所詮は独り身。
食べさせる相手もいないので専ら自分で作って自分で食べるわけだが飽きがくるわけだ。
さらに言えば一人で飲むのもちょっと寂しい。
帰宅前にちょっと飲みに行ったって罰は当たらないはずだ。多分。
最近見つけた近所の味のあるバーで軽く一杯引っかけていたら見慣れないイケメンに遭遇して。
早い話が、この年になって飲み方を間違えてしまったのだ。
数か月前に会った彼のことを肴に思いのほか進んだ杯。
極めつけが非常に度数の高い酒の入った相手の杯を誤ってあけてしまったこと、完全に酔いつぶれていたそうだ。

そうだ、というのは私の記憶にその部分が全く残っていないからだ。

すべて”今朝”、正座という日本の古き文化に基づく反省姿勢で切々と般若の形相の男からお説教を受けた。
類は友を呼ぶというがイケメン同士、偶然的に知り合いだった彼は不本意ながらも呼び出しに応じ、私を回収してくれたらしい。

流石に後輩には初対面の人間と飲んで潰れた挙げ句、ほぼ他人に家まで運ばせてビックリ仰天した!!……なんてことまでは言えない。
スーツのまま寝て起きた瞬間に「正座ァ!!!」と怒鳴られた挙げ句ノンストップ説教が始まったことなど、後輩にどう言えばいいのか分からないので割愛だ。

「いいか、てめぇが一緒に酒を飲んでいたのはこの世で最も性質の悪い女ったらしだ、脳に直接刻み付けておけ」

寝起き起き抜けに言われて全く分からなかったこのセリフも正座をしながら百篇位いわれればさすがに理解できる。
ほかのお小言と集約すると警戒心が足りない、女なんだからちゃんとしろ、そういうことらしい。

「ちょっとニ日酔いなだけだから気にしないで……」
「なんだ!そんなことならいいですけど……」
「(そんなことって)……取り敢えず吉成くんもうちょっと、もうちょっと声落として」
彼の脳天気な大きな声が、脳を揺さぶる。
頭がガンガンする。

「はい、はーい!先輩がお酒好きなのは知ってますけど、自重位してくださいよ」
「う……気をつけます」

朝もまさにそのことについて説教を受けたばかりである。正座で。
頭があまりにもグラグラするので、仕事だから、と強制的に切り上げてきたものの、
もし今日が休日であれば一体いつまでお説教が続いていたのか。

(想像するだけで身震いが……)

言い様もない、寒気に身震いすると、今日やるべき仕事の山へと向き直った。

〜〜

定時のチャイムがなり、終わった仕事を見返しながら身体をひねる。
パキパキとなる身体を軽くストレッチしながら、ゆっくりと考えた。
朝は軽く頭痛がしたものの、水をたっぷりとって、ちゃきちゃき仕事をしていれば、酒は抜けた。
昨日酒で失敗したばかりだが、昨日の今日で家に帰って料理を作る気になれない。
説教をカマしたスーツのイケメンと後輩の顔がチラリと頭をよぎるが……。

「今日は金曜日だし……ちょっと位なら……」

実を言うと昨日飲んでしまったあのお酒の名前も気にかかる。
名前を知らなければ次から避けようがないではないか。
それに昨日の粗相をマスターに謝らなければ。
あの良い雰囲気のお店を一回の失態で足が遠のいてしまうのも勿体無い。
今日はご飯がメイン!
思いつく限りの理由を並べ立てると、仕事に区切りをつけて社を後にした。

、あんたは酒が絡むと本当にダメ」

昔から母に、友人に、言われ続けたそのセリフを近々、惚れた男にも言われることになるとは露程も思わずに。


〜〜


「週頭の出張用の資料とPC持ってきたらちょっと重いな」

会社の最寄り駅から一つ二つ駅を過ぎて、自宅の最寄り駅で改札を抜ける。
家に帰る前に寄り道をしようかと思ったが予定変更。
肩と腕にずっしりと来る重みに、軽く飲みに行くにしろ一旦家に荷物をおいてから、出かけた方が良さそうだ。
自宅の扉を開けて、靴を脱ぐ間を惜しむように玄関に荷物をほうり投げると小さめのハンドバッグだけを片手に部屋を後にした。
いや、しようとしたのだ。

「よ〜し、今日は何飲みにいこっ……か……ナ……!?」

笑顔で自宅の鍵を締めて振り向いた瞬間に笑顔が固まった。
ズドンと顔の真横に叩きつけたら手のひらが盛大に扉を鳴らしたことは勿論、
まるで引きつるような”素敵な笑顔をした”御仁が目の前でお笑いになっていたからだ。
「ちゅ、中也さん?なんでここに?」
「よぉ、ぉ、朝ぶりだなぁ?」

ヒクヒクと引きつる私の笑顔にヒクヒクと引きつる彼の顔と米神。

「んで、、てめぇ、今からどこに行こうとしてた?」
(怖い、コワイ、KOWAI!!)

顔も笑っているとは言い難いし、目が全く笑っていない。

「俺の聞き違いじゃなきゃ”飲みにいく”とか聞こえた気がするんだが……気の所為だよな?」
「き、ききき聞き違いですよ〜、上司を呑みに行く気力で来週も仕事頑張ろうっかなーーーと!!」
「へぇ、じゃあてめぇは折角家に帰ってきたのに今からどこにいくつもりだったんだ?ん?」
「えぇぇっと、あれ、おかしいナァ、ど忘れしちゃいました!!」
「おいおい、若年性痴呆かァ?……それはいけねぇな。今日は家で大人しくしとけや」
「……でも、今日は家に買い置きがなくて」
「あ”あん?今朝俺がいったことはお前の頭に残っていねぇのか!?」
「すすすすいません!!覚えてますぅ!!」

廊下で説教が始まりそうだったので、慌ててお茶でもどうぞと部屋に引き込んだ。
上がる気はないとかなんとか言いながら、玄関先に放り投げられたカバンに眉を潜めるとまたお小言が始まりそうになる。

「(うちの母親より、厳しい……!!)ままままま、大丈夫大丈夫ですから!!」

自分でも何が大丈夫なのかはわからないが兎に角、兎に角お茶を速やかに入れるしかない。
鞄を慌てて拾い集め、部屋の隅に固めると、ポットと急須に手を伸ばす私であった。

「あんたは相変わらず茶だけは入れるのうめぇな……」
「最近はちゃんと料理も作ってるんですよ!……それで、中也さんはなんでまたうちに?」
「あ”」

低い声に聞いてはいけなかったのか、と肩を竦めた。
中也さんはちょっとだけバツの悪そうな顔をするとスーツのポケットに入れた手が何かを握って机の上に置かれる。

「悪いな、持って帰るつもりはなかった。昨日お前を抱える時に机の上においてあったこいつをスーツのポケットに突っ込んでだな」

薄っすらと表面に細かいキズが付いたピンク色の携帯は見紛う事なき、

「私の携帯?」
「そのまま忘れて、スーツを放り投げたら音がしてだ……」
「あ、元々キズだらけなんで全然大丈夫……」

画面の横に付いているボタンを押せば画面がぼんやりついたが、画面半分が真っ暗のまま点灯しない。

「おおぅ、何とも中途半端な感じで液晶がお亡くなりに」
「わりぃ、ってんだろうが!!!」
(まだ言ってませんとも!!!)

眉を釣り上げながら我鳴るように謝られた。
声の大きさに若干ビビったものの、下手くそな謝罪にビクビクと応対する。

「まぁ……しょうが無いですよ。コレなら……ギリ使えないことも」
「流石に無理だろ、画面半分消えてるんだぞ」

チョコチョコといじれば消えている画面ではタッチ反応もないようだ。
液晶にもヒビが入っているのか細かな破片が指に刺さる。
このまま使えなくもないが、ちょっと厳しそうだ。

「液晶交換かなぁ……面倒だからそろそろ新しいのに交換しようかな」
「……交換ってそんな個人でできるもんなのか?」
「で、できますよ、やった瞬間に改造判定になってメーカーの保証は受けれなくなるのであんまりオススメはしないですけど……」
「俺はやったことねぇな。メカはバイク以外弄る気にならねぇ」
「バイクの方が何倍もすごいと思いますけど……まあ、面倒だし、マウスつなげばデータも引き出せるしで、多分買い替えちゃいますよ、これ。元々調子悪かったんですよ」

元々、調子が悪くなってきたこの形態は修理もしくは交換を予定していた。
ほんの数ヶ月早まったところで何の問題もないだろう。

「まぁ、どっちでも好きな方にすりゃいいが……代金はこれで足りるか?」
「え、いいですよ、そんなの!大体、多すぎです!」

颯爽と取り出された札に驚愕する。
小市民は札束に体制はないのだ。

「よくねぇだろ、落とし前はキッチリつける」
「元々私が迷惑かけたのにいりませんよ!そして、多すぎです!」

必死で首を振る。
顔見知りとも言い難い、酔っぱらいを相手を家まで送り介抱してくれた相手にそれ以上何を臨もうか。
携帯を置き忘れてなくしたと思えばデータだけでも引き出せる現状に不満はない。
むしろ、まだ切り出してはいないがそもそも前に頂いた正体不明の大金の返金もしたいのだ。

「ま、前に落としてから調子悪かったんです、それによく置き忘れたり無くしたりしますし、私。時間の問題でしたよ、きっと」
!堂々というな!落 と す な!失 く す な!」
「いやー……中也さんが持ってきてくれなかったら携帯ないことに暫く気付いてなかったですし、寧ろありがとうございます」
「せめて、気づけよ!腐っても社会人だろうが!携帯位携帯しろ!」
「元来からのうっかりした性格からか、同僚から呼ばれてるトラブルメーカーの通り名のせいか、癖といってもいい程に良くものを落とすんですよね……」
「いや、それ絶対酒のせいだろ、禁酒しろ、禁酒」
「いやいや、お酒を飲んでない仕事中とかにも落としちゃうんです!お酒は関係ないですよ!」
「堂々というなっつってんだろうが!」

気をつけようとは思っているのだが中々治らないその”癖”は発動すると厄介なので、
必要最低限にしか手荷物を持たないようにしている。
トラブルメーカーの通り名のおかげで外勤だったときは散々だったが、内勤に移ってからは割と平和だ。
ほとんど社外での仕事はなく、自身もあまり出歩くこともないので、あまり問題になっていない。

「一応成長はしてるんですよ……置き引き対策でGPS付きキーホルダーは必ずつけてますし!」
「…………」
「車に盛大に泥水吹っかけられて壊れて以来必ず防水携帯にしてますし、必ず一番強度のある携帯を選ぶ様にしてるんですよ!
 可愛さやオシャレ感は二の次です!」
「…………」
「最近の引ったくり犯は盗った挙げ句、人を泥棒呼ばわりしたりしますからね!コワイ! 対策のために、カバンの内側とか携帯カバーの内側に名前もちゃんと縫い付けたりとか!」
「…………」

拳を握りしめながら熱弁する私を可哀想なものを見る目はやめてくれないだろうか。

「……本当に運ないな、あんた」
「ち、違いますよ、ちょっと引きがいいだけなんです」

良くも悪くもなんでも引いてしまう質なので……と信じているのだが、中々伝わらない。
「運がないだけじゃなくて、どうしようもない楽天家か。こないだ号泣してたの忘れたのかよ」
「いや、あれは本当にビックリしましたけど……ほら、今こうやって円満に話してますし。 中也さんって目つきくっそ悪いけど「はあ”ん!?」
「ゲフンッ……いやまあ、あの中々迫力のある方ですけどいい人じゃないですか」
「…………野良犬だってこんな早々懐かねぇよ」

照れた様にそっぽを向いたかと思えばぐしゃぐしゃと髪を混ぜ返される。
決して丁寧とも乱暴とも言えない力加減が逆に心地いい。

「え〜、酷い、ワンワン言った方がいいですか?……中也さんに会えて良かったですよ、私やっぱり引きがいいんです」
「……俺に会って運がいいだなんて言うバカ、早々いないけどな」


「運が悪いんだか引きがいいんだかは知らねぇけど、酒飲んで潰れていいことはねぇ、気をつけろよ、
「…………自分だって「何か言ったか?」なんでもありませんっ!!」
とっさの反論は強制的に停止させられた。
……ちょっとだけ面白くない。

「……じゃあ、教えてくださいよ」
「?」
「私にお酒の飲み方教えて下さい。私のお酒の飲み方が正しくないっていうならちゃんとした飲み方を教えて下さい」
「何で俺が」
「じゃあ、太宰さんにお聞きしま「やめろ」」

即断される。
口を尖らせ、彼を軽く睨めつけると、整った眉を少し潜めた。
暫くお互いの視線をぶつけながら無言を貫くも、先に根負けしたのは中也さんだった。

「……まぁアレだ。気が向いたら教えてやる」

他の誰かなら社交辞令だと思うようなぶっきらぼうな返事。
彼のことを然程知っているわけではないが、ほんの少し一緒に持った時間だけで彼の性格はなんとなくわかった。
真面目な彼ならきっと約束を守ってくれるだろう。

「ありがとうございますっ」
「気が向いたら、っつってんだろ、バカ」

机の上においてあるチラシを裏返すと胸ポケットに入っていたボールペンを軽く滑らす。サラサラと書き付けたのは11桁の番号で。

(ほら……真面目で優しい)

「ん」
「が、額縁に入れて飾っておきましょうか!!」
「馬鹿野郎」

携帯買い直したらココにワン切りでもしとけよ、と渡されたチラシの端を握りしめながらにやにやする顔を必死に抑え付ける。
緩む口元を抑える術を知っている人間がいたら今すぐ私に教えて欲しい。

「にやにやするな」
「子供の頃から、元々こういう顔です」
「号泣してたときにもそう言ってなかったか?」
「知らないんですか?子供って泣いた瞬間には笑ってるんですよ?」
「……女ってやつはああ言えばこう言う」

中也さんは律儀にも湯呑を流しまで持っていくと、そのまま玄関へと向かった。

、忠犬なら掛かってくるまで大人しく待ってろよ」

携帯を変えたら今度は首から下げれるようにストラップを買おうか。
なくさない様に、落とさないように。
そして、かかってきた電話にでれるように。

そんなことを考えつつも、必死に電話を鳴らす言い訳も考える。
たった今まで聞いていた声がもう聞きたい。また聞きたい。
恋に落ちた女を愚かだと綴る物語は数知れず。
今まで、鼻で笑ってきたがどうも私もその仲間入りらしい。
今日はお酒を口にしていないのにまるで酔ったように気分が高揚しふわふわする。

「……私は忠犬じゃなくて駄犬でもいいかな」


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