狂愛

「出せっていってるのよ!」

机に叩きつけた手のひらが熱を持ち広がる。
真っ赤になっているだろう手よりも体が怒りで熱い。

「嫌です」

付き合いたてのときですらこんなに声を荒げて喧嘩腰で応対したことがあっただろうか。
お互いに一歩も譲る気がない頑固者同士の攻防。
決着がつかない。

(私はこんなことをしたいわけじゃないのに……)

どうしてこんなことになってしまったのか、それを説明するにはほんの少し時間を遡らなければ行けない。
父母が姿をくらませて早三月。
私は自分が手を離したら崩壊すると分かっているこの国を手放すことはできなかった。
父も母も分かっていて姿をくらませたのだろう。
今までは逃げてきたものと向き合うことは辛く大変ではあるが、できてしまうのだから仕方がない。

急に降って湧いた国の統治。
国内の海千山千の爺どもを相手に翻弄されつつもライルや幼馴染の助けもかりてなんとか形になってきているとは思う。
国内の対応だけでも慣れることに精一杯だというのに、新女王の顔を見に来ようとする貴賓来賓接待。

(正式な発表はまだだというのに、どこから聞きつけてくるのかしら……)

表情筋が痙ってしまいそうだ。

政務机の上に積み上げられた書類や手紙の束は見るだけで目眩がする。
3月前に王宮を飛び出してカジノに砂漠、あまつさえダンジョンにまで潜っていたとは思えない。
自信の生活にまだ慣れずにいた。
一日中自由だったあの時期を思うと、恋人との時間すらまともに取れていない。

〜カーティス・ナイル〜

この悪人に溢れたギルカタールでも稀代の暗殺者。
私の恋人であり伴侶でもある。
ギルカタールに住むものとして元々名前は知っていたけれど関わり合いになることも、
一線を超える関係になることも全く予想をしていなかった。

(本当に私は彼のこと好きなのかしら……なんてね)

そう思ってしまうくらいには最近は二人の時間を設けれてない。
両親との賭けが終わり、政務に追われているせいで中々外へ出れない私は
稀に夜を共にすることは会っても昼間に顔を合わせることはほとんどない。
あるとすれば政務室と私室でほんの一時の間くらいだ。

〜カタン〜

小さく響く音にペンを止める。
集中しているときには聞こえない程度の絶妙な音量についつい唇が緩んだ。

「…………チェイカ、下がっていいわ」

政務に区切りをつけて侍女を下がらせれば、音もなく手元の影が落ちた。
背に感じる温度は安心できるもので、ペンを机に置きながらぐっと背後に体重をかけた。

「お疲れ様です、もう終わりですか?」
「……まだに決まってるでしょ、この書類の山を見てよ」
「いっその事全部放り投げてしまえばいいのに」
「そんなわけにはいかないでしょ」
「僕に任せてくれれば全てなんとかして差し上げますよ?」

体に纏わりつく腕を軽く振り払うと簡単に外れた。
椅子から立ち上がって勢いよく振り向けば満面の笑みの男が正面にいた。

「危なかっしくて任せられないわよ、バカ」
「心外ですねぇ……ギルドでは安心感には定評があるんですけどねぇ」

たまに甘言に乗ってみたくはなるものの、きっと後悔しか残らないだろう。
彼の解決方法は"全て殺す"しかないのだから。
父のように全てを消してから組み上げていく政事も一手ではあるが、
全てがなくなる前に手を出さない自信が今の私にはない。
そして今の栄えたこの国にそれが必要だとも思えない。

今度は自分から手を伸ばし、目の前の体をぎゅっと抱きしめると、
カーティスの胸元にグリグリと頭を擦り付けた。

「本当に、あなたは真面目すぎるんですよ」

全て殺せばいいのに、と物騒な台詞を耳元で囁きつつも
勝手知ったる恋人はゆったりと抱きしめながら、頭を撫でた。
頭から体から、ゆったり伝わる温度に少しずつ蓄積した疲れがほぐれていくのがわかる。

甘やかされている、大切にされている、愛おしまれている

この人が大事にするのは自分だけ。
それを知っているからこそ、手放せない。
見せびらかしたくもなる、この時間は希少で稀有で人の目にも触れさせない。
そんな宝物。
政略結婚も心の底では仕方がないかも、そう割り切っていた私がこんなにもふわふわとした
気持ちを携えているなんて一年前の私では予想もしていなかったに他ならない。

暫くの間ゆったり身を任せていると、不意に嗅ぎなれない甘やかな香りが鼻腔を擽った。
女性の好きそうな花とも果実とも言えない甘やかな香りは余り馴染みがない。
カーティスの身体能力を考えれば匂いすらも置き去りにして動けそうだが、職種柄
無駄な匂いを身につける愚行は侵さないはずだ。
余り無いことではあるが私へ何かを持ってきてくれたのだろうか。

「カーティス、なにか持って……」

"なにかもっているの?"

その疑問は最後まで口にすることは叶わず、同時に香りの元へと伸ばした手は宙を空振った。

「何も」
「何もなんてことはないでしょうが」

どんなに笑顔を顔に貼り付けようとも今の挙動でわかる。
何も"ない"なんてことは絶対に”ない”。
他国ではいい女は男の嘘に乗ってやるものだ、なんて話もあるらしいがギルカタールの女は
そんな真似はしない。

「何隠してるのよ」
「隠してませんよ」
(120%何か隠してる顔して……)

後ろ足に体重がかかったのを見て咄嗟に執務机の上に置かれている花瓶を真上に投げるとその真下へと駆け込んだ。

(逃してなるものかっ!!)

ぎょっとした顔をしながら咄嗟に私を庇いに動いたカーティスの胸元に腕を伸ばす。
中身をこぼすことなく見事に過分を受け止めた上で、カーティスはひらりと身をかわそうとしたがほんの一拍私の方が早かった。

〜ビリビリッ〜

手にかかった紙片が音を立てて破れる。
流石に全てを引き抜くことはできなかったらしい。
先程嗅いだ香りを纏ったその紙を握りこむと後ろに飛びずさりながら中身を確認した。
乱暴に切り取られた紙片は手の中でふわふわと踊った。

(一体何を隠し……)

紙片がクルリと回ると裏面に書かれた"love y"の文字が眼に入った。

(え……)

彼とあまりにも不一致なその単語に目を疑う。
あっという間に紙片は手の中からなくなったが、
それでも途切れた文字の続きを想像するのは容易い。

「……I love you ?」
「っっっ」

まるでゆったりとスローモーションのように流れる視界の中で珍しく焦る男の顔と紙面に書かれた文字が目についた。
随分綺麗な文字体だった。
一目でわかる、それはカーティスの書体ではない。
余り見ることの無い彼の字はお世辞にも綺麗とは言えなかった。
心の臓がドクリと波打つと、胸がズシッと重くなる。
まるで見えない靄が体中に広がったようだ。

「……なにこれ」
(稀代の暗殺者にラブレター?)

有り得ない…咄嗟に出てくる予想を必死に否定する。

(でも、自分は?)
(そう思っていた自分が今恋しているのは誰?)

ぐるぐると巡る思いが頭を混乱させ、まともにカーティスの顔を見ることができない。
握り込んだ指をそっとずらすと続きの文字が姿を現した。

"ou. I need you."

さっきの紙と続く言葉を見ればもう否定はできなかった。

"あなたを愛しています、私にはあなたが必要なの"

熱烈な恋の詩。
私が手にしているこの紙片は紙にしたためられた熱烈な恋心の欠片だったのだ。

私以外の人間がカーティスに恋している。
それでも私以外の女をカーティスは歯牙にもかけていないはずで、今までの彼との時間がそれを証明している。

(……本当に?懐にいれて……大事にしていたんじゃないの?)
(それに……何故隠したの?)

興味がないならさっと破り捨てるか笑い話として話せばいい。
天下の暗殺者に恋文を送る猛者が現れた、と。
まっすぐ見つめると彼はそっと目を伏せた。

(……私に相手を"殺させない"ため?)

庇っている、その事実が
胸の中で広がっていた淡い靄をドロドロとした塊に姿を変える。
嫉妬だ。
この私が。未だ過つて望むものは全て手に入れて来たこの私が。
顔も分からない、小娘に嫉妬している。

唇を必死で釣り上げながら微笑むと、”これからのこと”を頭の中で組み立てる。

名前は書いてあるかしら?
お住まいはどこかしら?
分からなかったらどうやって調べる?
調べたらどうするの?

(それは勿論……一つしか無い)

自分の"恋心"を明確に意識するのがこんな時だなんて知らなかった。
そして考えうる手段が全然普通じゃないことしか並び立てれないだなんてわかっていなかった。
こんな私が普通になりたいだなんてどの口で言っていたのか。
酷く滑稽で異質で異常。

そして話が冒頭に戻るわけである。

「カーティス残りの紙を見せなさいよ」
「嫌です」
「…………」
「…………」

隠したい男と暴きたい女。
暫く、お互いに無言で向き合うこと数秒。
眼の前にが暗くなったと思えば、小さな紙片を握る手の甲を大きな手のひらに包み込まれた。
いや、包みこまれたというよりは手を拘束されたというのが正しいだろう。
どれだけ力を入れても腕を振り払うことができなかった。

「私がみたいっていってるのに?」
「……気になるのですか?」
「ええ、とても」

そういった瞬間に肌に感じるひりつく感覚非常に遠く懐かしい。
彼の側にいれば緊迫した空気を感じる前にことが終わる。
久しく触れていなかったものだ。

(怒ってるの……?)
(そんなに私に知られると困るの……?)

「これがなんだかをご存知でそう言ってらっしゃるのですか?」
「ええ、さっき少しだけど見えたもの。中々熱烈なラブレターじゃない?」
「……貴方は見慣れているのでは?」
「そうね、私だってこう見えてもてるんだから、引く手あまたよ!」

ほんの少し見栄を張った嘘を唇に乗せてみる。
悪名高いギルカタールのお姫様に純粋な恋をする人間がどこにいるというのか。

「私の恋人はこんな熱烈な手紙を送ってくれたことはないけれどね!」

精一杯の虚勢に、心の中で私もと付け加える。
こんなにも近くにいる相手に手紙だなんて想像もしなかった。
その結果、どこぞの誰かに先を越されるだなんて。

「……私も手紙を書いてみようかしら」
「やめてください」
「いいじゃない、嫌なの?」
「嫌に決まっているでしょう!!あなたの書く手紙何か見たくもない!!」

他の女の手紙は受け取るのに?
私の手紙は受け取れもしない?
見たくもない?

じわりと滲む涙を堪えてまっすぐとカーティスを見るしか無かった。

「僕は学のない、殺すことくらい取り柄のない人間だ。
 そんな手紙を前にどうすればいいっていうんですか?
 僕にはお綺麗な文字を紡ぐなんてとてもとても真似できない。
 行動で示すしかないんですよ、僕みたいな人間は」
「たまには言葉で表したっていいでしょう、私達は動物じゃないんだから」

この文字は実に綺麗だ、懐から取り出した紙片を机に積み上げながら彼は笑った。

(私の前で他の女の文字を褒めないで)

その言葉を喉に押し止め、睨みつけた。

「もう一度聞くわ……誰からの手紙なの?」
「貴方が気にするようなものではありませんよ」

言えないような相手なの?
そう思うと頭にカッと血が登った。
腕を振り払って頬めがけて力いっぱい叩きつけるも、寸でのところで手首を掴まれる。

「一発殴らせなさいよ」
「嫌ですよ、僕痛いの嫌いなんです。
 大体こんな手紙一つ気にするもんじゃない、狭量だ」
「っっっ」
「そんなことは僕だってわかってるんですけどね」
「……?」
「危ないから下がっててくださいよ」

カーティスは懐から小さな瓶を取り出すと中の液体を紙の山にドボドボとふりかけた。
果実酒の芳醇甘い香りが部屋いっぱいに広がった。

「な、何してるのよ!」
「本当に何をしているんでしょうね。
 貴方に飲んでもらおうと思った酒が台無しだ」

咄嗟にテーブルに近寄ろうと踏み出した足は蹈鞴を踏むこととなる。
腕を横から力一杯ひかれたからだ。

「危ないっていってるじゃないですか、もう少し下がって」

何を、そう聞き返す前にカーティスは懐から取り出したマッチを軽くすると
止める間もなく執務机へと放り投げた。
可燃性の液体はよく燃える。
一気に燃え上がった机に動揺を隠せない。

「ななななな、何やってるのよ!!!!!」

慌てて窓際にあった水瓶をヒックリ返すと炎が消えたが、胸がドキドキと落ち着かない。
水浸しになった机の前で満足気に笑いながらカーティスは言った。

「これでもうあれが貴方の目に触れることはないですね」
「っっっ何焼いてるのよ!」
「あれだけ熱烈な恋文だ、やきますよ、当然でしょう?」
「当然?あなたの中で恋文は焼くものなの、カーティス!?」

そうであれば今まで一度も手紙をしたためなくてよかったのかもしれない。
自分の書いた手紙が燃やされていたとしったらショックで殴り飛ばしてしまいそうだ。

「ああっ、もうっ、妬きたいのはこっちだわ!」
「何を言っているんですか、やいているのは僕ですよ」
「あんたの言ってる"焼く"と私のいってる"妬く"は違うわよ!」
「?」
「私が言いたいのは……嫉妬してどうかなりそうだっていってるのよ」
「……どうして貴方が嫉妬するんですか?」
「嫉妬するに決まっているでしょう!
 自分の恋人が手紙を貰ってたら私だって妬くわよ!」
「恋人……僕への手紙ですか?」
「隠してた癖に!」
「……貴方が嫉妬……僕に手紙を送った相手に?」
「他に誰がいるっていうのよ!
 顔も見たことの無い相手を殺したいだなんて思ったのは初めてよ!」
「……僕に……恋文を送った相手を殺したいくらいに嫉妬してらっしゃる?」
「…………そうよ悪い?」

その瞬間だった。
見たこともないほど綺麗にその男が微笑んだのは。

「……な、何よ。おかしい?」
「おかしくないです。それって……」
「愛ですよね。僕、愛されてます」
「それに……貴方が普通だというなら僕がやってもいいってことですよね?」
「?」
「僕が貴方へのラブレターを見て妬いて焼いて灼いて『そして殺す』。
 珍しくぐちぐちぐちぐち悩んでた僕は本当に馬鹿ですね。
 僕は昔から非常に単純な人間だったのを忘れていました。
 自分ができないのならできるものを消せばいい。
 貴方の周りに群がるものがいるなら……片っ端から」

カーティスの笑顔と、立て板に水のように話す彼に意表を付かれながらもゆっくりと状況を理解すべく頭を動かした。
そして、ふと一つの仮説が思い当たった。

(これが当たっているなら……非常に恥ずかしいけれど……)

「……もしかして、あの手紙私宛だったの?」

当然とばかりに微笑むカーティスに疑問は確信に変わる。
無駄に悩んださっきの時間を返して欲しい。
そして死ぬほど恥ずかしい。

(顔から火が出そう!!)
「……はじめから言ってくれればよかったのに」
「まさかプリンセスがそんな勘違いをされているとは夢にも思っていなかったので……。
 普通に考えてください。僕宛に届く手紙なんて仕事の依頼書くらいですよ?
 怨恨の手紙すら届きません、殺しちゃいますから」

恨めしげに顔を睨めつけるも糠に釘、暖簾に腕押し。
幸せそうに微笑むカーティスに何を言えばいいというのか。
胸元を軽く押しながら、拗ねたような言葉しか出てこなかった。

「……何で私宛の手紙がここに、しかもバラバラになって懐に入ってるのよ」
「そのまぁ、なんというか執務机の上に会った手紙の紋章がちょっと気になって衝動的に。愛故、愛故ですよ、プリンセス」

カーティスは多くは語らなかったが、私の執務室にあった手紙を勝手に持ち出し切り刻んだ、そういうことだろう。
過去に上げられた他国の政略結婚希望の優男どもを頭に並べるが、如何せん候補が多すぎて特定はしきれない。

「……私に送られてくる、それも王宮に送られてくる手紙に政治的思惑がないわけはないのよ?」
「そうでしょうね」
「誰からの手紙か知らないけれどきっとまともに話したことも、下手したら会ったことすらない相手かも」
「そんな相手を私が相手にするとでも思っているの?」
「うんうん、そうですよね。本当にプリンセス、貴方は貞淑で素晴らしい……僕以外に」

体を這い回り始めた不埒な手に身を任せる。
本当に私はこの男に弱くなってしまった。

「普段も……他国の外交官がこの手を、この肩を」
「触ってるのを見ると切り落としたくなって仕方がないんですよ」
「一生懸命我慢しますから、今はただただ僕を褒めて慰めて愛してください」

王室に届いた手紙をそのまま捨てるだなんて一般常識的にありえない。
普通に考えれば応じる気がなかろうと差し障りのない回答をすべきだろう。

きっと今、問い詰めればカーティスは差出人も隠さない。
きっと今、押し止めれば隣国で王族の急死も起こらない。

それでも私はそれをしなかった。

(したくないのだもの……)

これから起こり得る政治的問題に考えを巡らすと頭が痛い。
実際に痛み始めた蟀谷を抑えながら一言呟いた。

「バカじゃないの……」

国際問題になりうる案件を、バカ一言で済ませてしまっている私はもう末期だ。
私がしたのは彼の唇を勢いよく奪った、それだけ。
目を見張ったカーティスの顔を見てほんの少しだけ溜飲を下げた。
それでも私が主導権を握れたのはほんの一瞬で、気づけばいつものように翻弄される。
熱い舌を追っているつもりが追われ、追い詰められ段々と何も考えられなくなる。

この熱い熱を交換するためなら、他人も国の一つもどうなっても構わない。

(そんな風に思う私はもう普通じゃないのかしら)

きっと私の頭も、もう狂ってるのだろう。
それでもいい。
普通より飛び抜けておかしな男を相手にするのだから。

あなたの相手をできるのは私だけ。
絶対に離してあげない。

〜Fin〜


雑記:
・コンセプトは何があっても動じないイケメンを焦らせたい
・反省点はサウンドノベルを作りたかったが、アラロスが好きすぎてゲームシナリオに
 落とし込めなかった。


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